ひな祭りとしての起源は古く、約千年以上の昔、平安時代の中頃と言われています。その時代、三月始めの巳(み)の日を上巳の節句(じょうみのせっく)という、子供の無病息災を願ってお祓いをする行事がありました。陰陽師の手によって、食物を供え、人形(ひとがた)に災いや凶事を乗り移し、川や海へと流しました。これに「ひなあそび」と呼ばれる”ままごと遊び”が今から約六百年程前の室町時代初期に融合し、宮廷で行われるようになりました。
「雛」(ひな)とは鳥のように小さく、かわいいという意味で、小さな人形や道具を使って”ままごと遊び”をする事を「ひいな遊び」と呼んでいました。今のように広く全国に「ひな祭り」が広まったのは戦国時代が終わり、江戸時代に入ってからの事です。武士階級から町人へ、そして地方へと毎年盛んにひな祭りが行われるようになりました。
しかし、今のひな人形の飾り方とは、多少違いがあったようです。文明開化の頃、明治政府は五節句行事を全て廃止としてしまいました。従って上巳の節句であるひな祭りも一度は憂き目に合いましたが、長い間人々の生活の中に根をおろした行事は簡単になくなるものではなく、特に子供に対する愛情の表われでもある、上巳・端午・七夕の三つの節句は、今日でも盛んに行われています。
本来はひな祭り当日ですが、その前の休日を利用してもかまいません。みんなでお祝いすることが大事なのです。両家の両親やお祝いを頂いた方、親しくしている方々や友人たちを招いて下さい。お祝いにはひな寿司とはまぐりのお吸い物が基本です。ひな寿司は「ひなちらし」寿司で、海や川の物をふんだんに使った具材に桜でんぶなど赤い物でまとめます。また、はまぐりは他のはまぐりのフタとは絶対にかみ合わない所から女性の貞節を表し、幸せな結婚生活へと導きます。お祝いのお返しは、ひしもちやお赤飯に、赤ちゃんの写真を添えると喜ばれるでしょう。その際、「内祝い」としてお子様の名前で渡します。
ひな人形の飾り方は地方によって違いがあります。標準的な飾り方は、当工房の商品画像をご覧頂ければおわかりかと思いますが、京都などでは男雛と女雛の位置まで異なります。かつては京都のように向かって左に女雛、右に男雛が普通でしたが、昭和天皇即位の際、紫宸殿の坐位が、向かって左に天皇、右に皇后となったので、これに習って替ったものです。ですから、あまり深くとらわれずに、バランスよくキレイに飾って頂ければ、おひな人形達も喜んでくれると思います。ただ、お人形は早めに飾ってあげて下さい。約1ヶ月位前の大安か友引の日を選んで飾ると良いでしょう。
初節句に飾るひな人形は、基本的には里親の方から贈るのが普通です。元来は将来お子様が大きくなられた際に、嫁入り道具の一部となる物ですので、里親であるおじいさん、おばあさんが心を込めて選んで贈るのがふさわしいとされています。しかし、昨今は、パパさんやママさんが選んで、買ってもらうケースも多くなっているようです。お仲人さんや親戚、友人はケース入りのわらべ人形や舞踊人形、市松人形を贈るのが一般的です。最近ではぬいぐるみや季節の小物等も人気があります。参考までに「秀光人形工房あるる店」にても一部展示させて頂いております。
たくさんの種類の人形を用いることで主従関係、いわゆる社会的役割分担を、身の回りの家具調度品の雛道具で、家庭での躾けやマナーのお勉強を、遊びの中から教え伝えて来たと思われます。
親から子に対する愛情のあらわれである「無病息災」と「健全な成長」、ひなまつりはこの健やかな成長の願いを具現化したものです。